伝統的な儒教史では

金では道学は行われず、モンゴルの捕虜となった趙復が姚枢・王惟中に伝えたことによって初めて道学が北伝したとされたが、現在では金でも道学が行われていたことが知られている。ともかくも元代、姚枢から学を承けた許衡が出て、朱子学が大いに盛んになった。元は当初、金の継承を標榜しており南宋は意識されていなかった。このような状況のなかで、許衡はクビライの近侍にまで至り、朱子学を元の宮廷に広める役割を果たした。また南人では呉澄が出て朱子学を大いに普及させた。彼は朱子学にも誤りがあるとして理気論や太極論の修正を行い、陸九淵の学の成果を積極的に導入している。許衡と呉澄の二人は後に元の二大儒者として北許南呉と称された。元代、科挙で一大改革が起こった。漢人採用の科挙において依拠すべき注釈として『十三経注疏』と並行して朱子学系統の注釈が選ばれたのである。これによって朱子学の体制教学化が大いに進んだ。
update:2009年09月04日